「夫が片付けてくれない」
「子どもに何度言っても、出したものを戻さない」
「結局、いつも私ばかり片付けている」
片付けの悩みを聞いていると、自分の物だけではなく、家族が片付けてくれないことにストレスを感じている人はとても多いです。
散らかった物を見るたびに片付ける。
「使ったら戻してね」と何度も言う。
収納場所を決めても、そこに戻してくれない。
そうすると、だんだん、
どうして私ばっかり?
なんでこんな簡単なことができないの?
と思ってしまいますよね。
でも、家族が何度言っても片付けないとき。片付け方や収納方法を考える前に、私は一度、こんなことを考えてみてもいいと思っています。
その人自身は、今の状態に困っているでしょうか?
「言わないと片付けない」は、なぜ起こる?
先日、わが家でもこんなことがありました。
大学生の娘は、かなり散らかすタイプです。
自分の部屋だけではなく、リビング横の和室にも服を脱いだまま。
収納家具の上にはペットボトルや雑多な物。
床にもいろいろ置いてあります。
私はもちろん、きれいな方が好きです。
散らかっていれば「うーん……」と思います。
でも、娘自身はそれほど困っていません。
一方、単身赴任中の夫が連休で帰宅。
娘の散らかした部屋を見て、
「どうしてここまで散らかすんだ」
「使った物は戻しなさい」
「言わないと、いつまでもやらない」
と、とにかく気になる様子。
そして娘は、言われれば片付けます。
でも数日すると、また物が出てくる。
これは、娘が夫の言っていることを理解していないからなのでしょうか。
私は、そうとも限らないと思っています。
片付ける必要を感じている人と、感じていない人がいる。
たとえば娘も、姉が帰ってきて和室に泊まるとなれば、慌てて片付けます。
もし友達や恋人が来ることになれば、やっぱり片付けるでしょう。
つまり、
「片付けられない」のではなく、「今は片付ける理由がない」
という場合もあるんです。
ここは、かなり大きな違いです。
「片付いているのが当たり前」は、全員の当たり前ではない
夫はどちらかというと、
「使った物は元に戻す。片付いているのが当たり前」
という感覚を持っています。
だから、散らかっている状態を見ると、「どうして片付けないの?」となる。
私は少し違います。
なぜなら私自身、50歳になるまで片付けが得意ではなかったからです。
だからむしろ、人間って、放っておいたら散らかすものなんじゃない?くらいに思っています(笑)。
もちろん、どちらが正しいという話ではありません。
問題は、同じ家で暮らしていても、「快適」と感じる基準は人によって違うということです。
一人は「こんなの耐えられない」と思っている。
もう一人は「別に困ってない」と思っている。
同じ部屋を見ているのに、見えている世界が違うんですよね。

家族を「片付けられる人」に変えようとすると苦しくなる
家族が片付けてくれないと、「どうしたら片付けるようになりますか?」と考えたくなります。
収納場所を分かりやすくする。
ラベルを貼る。
戻しやすい仕組みにする。
もちろん、こうした工夫で片付けやすくなることはあります。
私も収納サポートでは、その人の動きに合った収納場所を一緒に考えます。
でも、それとは別の問題があります。
本人が片付けたいと思っているかどうか。
本人が今の状態で困っていないのに、
「片付いている方が正しい」
「片付けられるようになるべき」
という前提で変えようとすると、なかなかうまくいきません。
そして言われ続ける側は、
「また怒られた」
「私はだらしない」
「どうして私はこんなこともできないんだろう」
と、片付けそのものが嫌になってしまうこともあります。
片付けられないことは「悪いこと」ではない
私はここを、とても大事にしています。
片付けられることは「善」で、
片付けられないことは「悪」。
そんなことはありません。
片付けが苦手でも、人として何かが欠けているわけではない。
だから、
「普通これくらいできるでしょう」
「どうして何度言ってもできないの?」
と責め続けても、その人が片付けられるようになるとは限りません。
むしろ、
「自分は片付けられない人間なんだ」
という苦手意識だけが強くなることもあります。
私自身が長い間片付けられなかったからこそ、これは強く感じます。
片付けられない人を、片付けられないことで責めなくてもいい。
私はそう思っています。
じゃあ、片付けたい側が全部我慢するの?
ここまで読むと、
「じゃあ、片付けない人はそのままでいいの?」
「結局、気になる私が全部片付けるの?」
と思うかもしれません。
それも違います。
ここが、家族の片付け問題の難しいところです。
散らかっていても平気な人には、その人の感覚があります。
でも、
散らかった状態が苦痛な人にも、その人の感覚があります。

毎日目に入る物にイライラする。
必要な場所が家族の物で占領される。
結局いつも自分が片付ける。
「どうして私ばかり」と思う。
そのストレスだって、我慢し続ける必要はありません。
では、どうしたらいいのでしょう。
「相手を変える」ではなく「一緒に暮らせる場所」を探す
家族の片付けで必要なのは、相手を自分と同じ片付け基準に変えることではなく、違う人間同士が一緒に暮らせる地点を探すことなのかもしれません。
たとえば、
「自分の部屋は好きにしていい。でも共有スペースには置きっぱなしにしない」
「ここだけは私がとてもストレスを感じるから、物を置かないでほしい」
「毎日戻すのが難しいなら、とりあえずここに入れる場所を作ろう」
そんなふうに、お互いが暮らせるルールを相談する。
これは、
「片付けなさい!」
とは少し違います。
相手を矯正するのではなく、共同生活をするための相談です。
そして収納の仕組みを作るなら、その後。
「普通はここに収納する」ではなく、その人が実際に戻せる場所を考える。
収納場所は、「一般的に正しい場所」よりも、その人の今の暮らしや動きに合っていることが大切です。
この「戻せる収納場所」については、こちらの記事(「収納を増やしても片付かないのはなぜ?50代から見直したい収納場所の決め方」)でも詳しく書いています。
仕組みで解決できる部分と、価値観や特性の違いとして折り合いをつける部分。
両方あるのだと思います。
本人が「片付けたい」と思ったときがチャンス
今は散らかっていても困っていなかった人が、ずっとそのままとも限りません。
一人暮らしを始めて、「探し物ばかりで生活が回らない」と思うかもしれない。
人を家に呼びたくなって、「もう少しきれいにしたい」と思うかもしれない。
年齢や暮らしが変わって、「今の家をもっと快適にしたい」と思う日が来るかもしれません。
そのとき初めて、本人の中に「片付けたい理由」が生まれます。
私は、そのタイミングで一緒に考えればいいと思っています。
手伝ってほしいと言われたら、喜んで手伝います。
やり方が分からないなら、一緒に考える。
でも、
「あなたは今のままではダメだから、私と同じように片付けなさい」
とはしない。
片付けは、本来、人を責めるためのものではないからです。
家族の片付け問題は「収納」の問題だけではない
家族が片付けてくれないとき、私たちはつい、
「どうしたら戻してくれる?」
「どんな収納なら片付けてくれる?」
と考えます。
でも、その前にあるのは、違う「快適」を持った人間が、一つの家で暮らしているという、とても当たり前のことなのかもしれません。
だからまず、
本人、困ってる?
と考えてみる。
そして、
私は何に困ってる?
も考えてみる。
相手の困りごとと、自分の困りごとは、同じではないから。
相手を変えようとする前に、「じゃあ、この家で私たちはどう暮らそうか」と考える。
家族の片付けは、物を元の場所に戻すことより、違う人間同士の「ちょうどいい」を探すことなのかもしれません。
50歳まで片付けられなかった私だから思うこと
私は50歳になるまで、片付けが得意ではありませんでした。
だから今、片付けの仕事をしていても、
「片付けられないなんておかしい」
とは思いません。
むしろ、片付けられないのがデフォルト。くらいから始めています。
責めるとか、あり得ない。
でも、もし今の暮らしに自分自身が困っているなら、そこから一緒に考えればいい。
私が片付けで目指しているのは、「ちゃんと片付けられる人」になることではありません。
自分はどんな暮らしがしたいのかを、自分で選べるようになること。
片付けは、そのための一つの方法だと思っています。
実は2年前にも、当時高校生だった娘が片付けないことについてnoteに書いていました。
あれから2年。娘は大学生になりましたが、相変わらず出しっぱなしです(笑)。
そして私も相変わらず、「本人が困るときが来たら、そのとき考えればいい」と思っています。
→ 記事はコチラ「片づけない子どもにイライラする」問題、どう片づける?
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家族を変える前に、まず自分が心地よく暮らせる家を一緒に考えてみませんか。
うちの場合はどうだろう?
と思ったら、お気軽に無料相談へ
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